コーヒーの流行と日本や焙煎工程の希薄化
世間の(と言ってもかなり先鋭的な)コーヒーの向かっている潮流は、素材としてのコーヒーをいかに楽しむか。
そのために単一農園単一品種、単一の精製方法の浅煎り豆をストレートで飲む。
まあそれはそれでいいのだけど、焙煎士の存在がどんどん希薄化している。
プロファイルが公開されたり、そもそも煎りが浅いコーヒーで、ブレンドもしない。
で、この結果として今あるのが、生豆のスペック買い。
高いカッピングスコアを出したとか、品種や農園や精製方法で買う。
焙煎士は誰でもいいし、なるべく焙煎士の色が出ないほうがいい。
そういう楽しみは否定しないものの、生産国と離れた日本で、ただ生産国の努力を享受するのがコーヒーの楽しみ方だと言われると、少し退屈な感じがしてならない。
これはなんというか、美味しい魚を買ってきて捌いて刺し身で食べるのと、寿司屋の職人が仕事をして酢飯に乗せて食べるのと、どちらを楽しみたいか、みたいな問でもあると思う。
(逆に寿司屋は過大評価され過ぎで、いい魚を刺し身にして好きな調味料で食うことのコスパが高いと思ってしまう)
いい魚さえ買ってくれば仕事が終わるとか、ただ素材を活かす切り方をするとか、それは少しも寂しくもある。
もう少しブレンドだったり、深い焙煎度で人が手をかけることにも面白さが見いだされるといいなということです。