学生時代を語る気がしない

学生時代を語る気がしない


過去よりも現在が大切だ、という意味であまり過去を語るのが好きではない。
そもそも、記憶力に難があり、昔のことは断片的にしか思い出せないのだが。


だが、学生時代を語る気が起こらないのは、また別の理由がある。
アイデンティティの問題だ。
一言で言えば、学生時代の自分というのは、主体的に生きていなかった。
周りに流されることが多い人生で、自我の発達が不十分であった。


いまの自分と過去の自分の連続性を明確に見て取れるのは、大学に入ったあたりが最初だ。
それ以前の自分がどうだったかといえば、学校という枠組み、部活という枠組みの中で、他者の命令に従う機械に近い存在であった。
人並み以上に反抗をしていた問題児ではあったのだが、命令系統からの脱却はできなかった。
個として自己を確立するという強さが備わっていなかった。
今から思うと、大学以前の自分というのは、動物的な反射で生きていたように思う。


自分で考え、責任を取り、自己規定をするというのができるようになったのは、せいぜい大学に入った頃からで、自分の人生が始まったのはその辺りからだ。
親元を離れて一人暮らしをしたこと、選択肢が無数にある都会に出たことなど、幸運にも恵まれた。


高校から付き合っていた相手には、大学に入ってから変人になったと言われたし、高校以前の友人は大学以後は疎遠になった。
大学入学を起点に、自分は生まれ変わったように思う。


そういうわけで、高校以前の話はあまりできないし、人と話すことはない。
できることなら今の話や、少し先の話がしたい。
過去を懐かしむほど無力ではなく、今の自分が人生で最も優れているのだから。