現代で失われたおおらかさを取り戻す

失われたおおらかさを取り戻す

現代ではおおらかさはおおよそ死語になっている。
とくに、大衆からは。
過去の書物を読む限りでも、大衆というのは、恐らく常におおらかではなかったのだろう。
他人のあら探しに躍起になって、あらを見つけたら叩くのが、大衆というものなのだ。


インターネットの普及によって、大衆の力が増し続け、以前は問題ではなかったような物事で日夜人が攻撃されている。
原因は本人にあるのかもしれない。
でも、人間というのはミスをする生き物だ。
ミスをする度に叩きのめして再浮上できないような社会というのは、まともな社会ではない。


生きづらくなって、息苦しい現代だからこそ、ぼくはおおらかでいたい。
小さいことは気にしない精神。

貴重な人生の時間を赤の他人のあら捜しに費やすのは本当に無駄だし、そんな下品な行為に手を染めたくはない。
社会悪は裁かれるべきかもしれないけれど、大衆が認識してどうにかできる悪なんてのは、たかが知れてる。

ぼくのような人間は、少なくとも醜い大衆の一員にならないように注意したいし、できればおおらかさを持ち続けていたい。