大衆から広く支持を集めることと、人格の変容
大衆から注目を集めたり、金を集めようとすると、意図しないうちに自分の人格が歪められる。
ぼくは意図的に、大衆的なものと距離を取ろうとしている。
一人一人の人格はいざ知らず、大衆となったときには、人は愚かで暴力的で品のない存在になる。
ぼくだってそうだ。
彼らの注目、具体的にはPVとかSNSのいいねを集めようとすることは、自分の思考を大衆にチューニングすることに繋がる。
はじめは自分の好きなことを発信していたつもりでも、いいねが集まったり、それが金になると分かると、そのうちそれを集めることが目的になる。
自分がコンテンツを提供しているつもりでも、知らないうちに大衆が求めるコンテンツを提供させられていることになる。
ほとんどの人にとって、これは別に悪いことではない。
皆と同じ感覚を持って、人気者になって、金も手に入る。
それに不快感を抱く、へそ曲がり以外には幸せなことだと思う。
でも、ビジネスは大衆から金を集めることであることが多い。
特に大きくなればなるほど、ステークホルダーは大衆に近づく。
ビジネスをやりつつ、大衆を無視できる人というのは、貧乏人か狂人であるような気がする。
貧乏人も嫌で狂人でもないぼくたちが、なるべく大衆から影響を受けないようにするためには、意図的にその声を無視する必要がある。
クリエイターであれば、作りたいものだけ作って、その後の反応の一切を耳に入れない。
批判を受け入れないクリエイターはオナニー野郎だとか大衆は言うけれど、そんな声は一切聞き入れないようにする。
勿論、称賛の声も同様に無視する。
俺が作りたいものを勝手に作るから、お前らは勝手に消費しろというスタンスは、クリエイターとしてはとても健全だと思う。
ビジネスマンであれば、データを見て個別事例を一切見ない。
大衆をただの数字の上下として捉えて、個々のコメントや問い合わせの一切を無視する。
いかなる場合においても、大衆との接触をなるべく避ける。
コメントやSNSの反応やレビューみたいな、生の声に晒されないようにすること。
生の声は予想以上に影響力が大きく、単なる数字の数倍の影響を与える。
クリエイターやビジネスマンであれば、自分のメンタルや創造性を大衆性に侵されないための防壁をなるべく多く、高く築いておいたほうが良いと思う。