Chat GPTは今のところ不要

 

良い情報というのは、情報の持ち手も消費者も数少ない、というのがぼくの考え。

本当に良い情報は限られた人だけが持っていて、その価値を正しく判断できるのもまた限られた人だけだと思っている。

 

Ghat GPTは有象無象の膨大な情報ソースを学習して、アウトプットの正誤を判断するのも有象無象、という仕組みになっていると思われる。


ということは、その情報の正しさを担保するものがほとんどない。
勿論、良い情報だけを学習させれば良いのだろうし、科学論文に限って学習させたりすると、かなり情報の精度は高くなるはずだ。

だけど、今のところ検索機能に代わる信頼性は見いだせない。


また、正誤を判断するユーザーの質はこれからも良くなることがないだろう。
Google検索がクソ化したという話は聞くが、あれはユーザーのが求める形に最適化されているのである。
正しくても小難しい検索結果は望まれていない。
つまり、より質の良い情報を得るためには、大衆と同じ出力を求めてはいけない、というわけである。


ぼくが情報を集める際には、信頼できる発信者の情報に限定している。
ただ漠然と検索していては到達できないけれど、ぼくなりに工夫をして検索精度を高めている。
この利便性を機械学習が超えてくるのは、もう少し先の話になりそうだ。