自分だけの強い信仰・宗教

自分だけの強い信仰・宗教


現代日本に住む自分にはあまり実感がないのだが、宗教を強く信仰している人には、無宗教の自分とはかけ離れた安心や肯定があるように思う。


自分や現世という存在を超えた大きな存在や真理に帰依することによって、他の誰からも奪われることのない安心や肯定が得られる。


我々は自由である。
恐らく、日本史上最も信仰が薄く、最も自由な時代を生きている。
それ故に、他人からの肯定や庇護もまた、無条件のそれとは異なる。
得られるとすれば、ギブアンドテイクや価値を伴う、いつでも失い得る市場化された肯定であって、神の加護のような絶対的なものではない。


信仰から得られる肯定や庇護は、幼少期に感じていた、親からの無条件の庇護と安全、という感覚に近いかもしれない。
最も、自分はそのような感覚が希薄であったように思うのだが。


何のために生きるのか、良い人生とは何か、良い生活とは何か、という指針すら持たない我々は、往々にして迷い、不安になる。
孤独を感じる。


宗教では指針を与えられ、その価値は揺るがない。

確固たる人生の指針を与えられ、指針に沿うことで無条件の庇護が与えられる。
現世で多少辛いことがあっても、神によって救われる・報われるという確信がある。
この効用はとても大きいのではないかと思う。


とはいえ、今から特定の宗教や信仰に目覚めよ、というのは難しい。
そこで、自分の信仰を作り上げ、明文化し、自身でそれに帰依するのはどうだろうか。
神を作っても良い。
(神の存在は他者には言明しない方が良さそうだが)
信仰の存在は、強く信じれば信じるほど、その効果も大きくなる。
自分が心の底から信じられる何かを作り上げ、それを盲目的に信じる。
あまりコロコロ変わるのは良くないし、実践不可能な教義は守られない。
兎にも角にも、まずは自身の信仰する価値を明文化することが大切なのだと思う。


熱心な信者ほどの効用は得られなくとも、その1/10でも効用が得られるのなら、多少は生きやすくなるのではないだろうか。