潔癖すぎる国内環境は競争力を低下させる 格闘技編

日本の格闘技は潔癖すぎる。

特に計量とダーティーテクニックに関して。

計量失敗すると、日本では犯罪者のように叩かれる。

ボクシングの比嘉大吾や宮崎亮は軽量失敗で選手生命を絶たれたようなものだと思っている。 前者は軽量失敗で袋叩きに遭い、後者は自分で歩けないほどフラフラの状態で軽量をクリアしたものの、そんな状態でリングに上がって勝てるはずもない。

 

今の格闘技というのは、減量から試合が始まっていると言って過言ではない。

昔よりも減量幅が増えているので、一歩間違うと計量失敗のリスクが高まる。

かと言って減量幅を狭めると、当日の相手が比べ物にならないほど自分よりデカいということになる。

 

ボクシングに限らず、格闘技の進歩のスピードは格段に早くなっている。

競技におけるテクニックのみならず、フィジカルトレーニングやコンディショニングも含めて。

グローバルな規模で情報に触れられて、映像が見られる環境では、競争は熾烈を極める。

そんな過当競争下では、僅かな違いが大きな差になる。

減量もまた、競争における重要なピースであり、ここを疎かにしていては、本来勝てる相手にも勝てない。

体重差による競技力向上は、打撃系よりも組み技の方が恩恵が大きい。

MMAではボクシング以上に減量が重要というわけである。

(話が長くなるので書かないが、ドーピングもまた過当競争下では勝利の決定打になりうる)

 

では、計量失敗に対する日本と世界の認識の違いについて触れておく。

日本では計量失敗は許されざる行為であり、フラフラになっても契約体重を守るべき、というのがおおよその風潮だ。

世界、特にアメリカではそうでもない。

計量失敗はよくあるし、一発で人格否定されて退場、なんてことにもならない。

計量失敗した側が申し訳なさそうにすることもなく、堂々と大きい体で相手を蹂躙するのはよくあることである。

ボクシングで階級転向をする前の最後の試合は敢えて計量失敗して、ペナルティなく上の階級に上げるふてぶてしい選手もいる。

契約体重を守ることよりも、レコードの方が大切というわけだ。

 

では、日本のように計量失敗が許されない環境では、減量幅はおのずと小さくなる。

これは現代格闘技では致命的と言わざるを得ない。

自らハンディキャップを背負って戦っているようなものである。

日本で競技が完結しているならともかく、世界(主にアメリカ)を目指すなら、減量も一つの大きな武器として洗練させていく必要がある。

そして、それを成し遂げるためには、計量失敗に対しても世界基準で(おおらかで大雑把な)環境づくりが必要だと思う。

 

もう一つ大切なのが、契約の問題だ。

契約体重とペナルティは契約次第でいかんともなる。

ボクシングのカネロvsチャベスJrの試合が分かりやすい。

チャベスJrは計量失敗の常習犯で、相手より一回り大きい体と減量無しのスタミナで相手を圧殺するたちの悪いドラ息子であった。

でもカネロとのビッグマッチでは、計量失敗という大きな武器が失われた。

契約で計量失敗するとファイトマネー以上の違約金を支払うことが明記されていたためだ。

契約の力で無事ダイエットに成功したチャベスJrは両手の武器を取り上げられ、歩くサンドバッグとして試合を盛り上げた。

要は、計量失敗を単なるモラルの問題として扱うのではなく、契約に折り込んでインセンティブ(あるいはコミットメント)として機能させることが大切である。

 

こんな細かいことを考えて競技を見るのはなんだか面倒くさいので、そういう人が取れる選択肢を示しておくと

・無差別級(ヘビー級)至上主義者になる

・馬鹿になって体重のことなんて気にしないで見る

・日本人選手のことは考えない

・こんな野蛮で不完全な競技は見ない

・複数回計量失敗した人だけを強烈に叩く

というのをおすすめする。

 

契約体重というのは大切な決まりごとで、守らなければいけない、というのは建前なんだけど、それを律儀に守っているのは日本だけ。

それが自国選手の競争力を下げているよ、というのが本題。

 

似たような問題が他にもあって、ダーティーテクニックと塩試合。

日本のボクシングは極端に潔癖なレフェリングをしていて、ダーティーな駆け引きはあまり見られない。

日本の観客は楽しく見られるかもしれないが、その選手が世界に出たとき、初心な選手はダーティーテクニックで蹂躙される。

繰り返すけど、これは非常に不利なことで、一人だけ違うルールの競技をしているようなものである。

 

また、塩試合も日本固有の問題がある。

日本では塩試合は敬遠されがちで、結果的に派手な試合を選手は選びがちである。

選手のもち味が塩試合にあったとしても。

相手の持ち味を消して地味な試合をするよりも、派手に散れというわけである。

清く正しい武士道精神なのか、他罰的な日本の土壌のせいかは知らないが、日本の格闘技では泥臭い勝利よりも潔い敗北の方が讃えられる傾向にある。

まあ時間が立つと日本人もレコードしか見なくなるので、目先の称賛か将来の利益か、という話になってくる。

 

今回は日本市場の特殊性、主に潔癖さが、世界市場での競争力低下を招くという話を格闘技を題材に書いた。

でも、こんなのは格闘家のみならず色んな分野でよくあることだ。

日本に住んでいると日本の常識に染まりがちだけど、実は自身の競争力を低下させているのでは、という視点を持つことは様々な分野で大切なことなんじゃないかと思う。