格闘技は好きだけど、格闘技は盛り上がらないほうがいい

 

理由
1. 健康に悪い。健康寿命を削る
2. ドーピング検査が緩い
3. 負の外部性が大きい
4. 稼げない

ここでいう格闘技とは、主に頭に打撃を加えるものをさす。

1. 健康に悪いということについて

格闘技の目的は、相手の人体を壊すということにある。
ボクシングを例に取ると、パンチで相手の脳を揺らして起き上がれないようにすることを主たる目的としている。
頭部に衝撃が加わると、脳が揺れる。
脳が揺れるたびに、脳の神経が破壊される。
一度破壊された神経が再生することはない。
パンチを受ければ受けるほど、脳機能が低下していく。
自分や他人に分かるほど脳機能が低下したらパンチドランカーというわけだ。
パンチドランカーは格闘家だけに起こる現象ではない。
アメフトやサッカーでも起こる。
サッカーでは一試合で数回あるかないかのヘディングでもパンチドランカーになる人はいる。
これがボクシングでは一試合48分で100回を超えることもある。
こんな危険な競技が盛り上がるということは、より多くの人が脳機能の低下に晒されるというわけである。


2. ドーピング検査がゆるい
格闘家とドーピングはセットだ。
格闘家でもドーピング検査は行われるが、その中身はとても緩い。
ドーピング検査が最も厳しいのはオリンピックだ。
四六時中選手の居場所を監視して、抜き打ちで採尿や採血をして検査する。
これはめちゃくちゃコストがかかる。
オリンピック競技のような採算性のないアマチュア競技でもドーピング検査ができるのは、オリンピックには公費が注入されているからだ。
東京五輪のように。
格闘家でそれだけコストをかけてドーピング検査できるのはUFCくらいだ。
そのUFCでもドーピング違反者はチラホラ出るし、そもそも殆どの格闘家はUFCで戦うことすらままならない。
ドーピング検査のゆるい他競技の選手や、下積み時代のMMA選手はドーピング検査の緩い場所で戦うことになる。
オリンピックの陸上競技でドーピング違反者に負けたとしても、せいぜいお金や栄誉を失うだけで済む。
しかし、格闘家でドーピング違反者に負けるということは、それに加えて寿命を失うことにも繋がる。
先に述べたように、頭部への被弾は健康寿命や寿命と直結しているからだ。
ドーピングをする側としても、副作用に悩まされることになる。
ドーピング検査が緩いということは、囚人のジレンマ的にドーピング使用のインセンティブが働くし、ドーピングを使わなくてもユーザーに寿命を奪われる。


3. 負の外部性がある
人体の破壊が目的の格闘技で選手が怪我をしたり、後遺症で働けなくなったらどうなるのだろうか。
正解は税金が使われるのである。
喧嘩の怪我には公的保険が使えないが、格闘技では使える。
公的保険の金の出どころは格闘技に興味のない人からも払われる。
同様に、パンチドランカーで働けなくなったときの生活保護なども税金から出ている。
日本は国民皆保険だし、生存権憲法で保障されている。
だから、意図的に人体を破壊される競技で負傷した人の世話は他の国民がすることになる。


4. 稼げない
格闘家は稼げない、とよく言われる。
ほとんどの格闘家はバイトをしているとも。
中には井上尚弥村田諒太のように億単位で稼げる人もいるだろう。
彼らを見ると夢があるように見えるかもしれない。
でも、他の競技や職業に目を向けてみよう。
野球では格闘家以上のお金を、寿命をリスクに晒すことなく稼げる選手が沢山いる。
メイウェザーやカネロはスポーツ選手の長者番付トップだぞ。
という反論があるかもしれないが、歴代トップクラスに稼ぐ彼らでも、長者番付の方に載ることはない。
経営者や投資家の方が儲かるからだ。
ほとんどの人は食えない。
成功しても大して稼げない。
大成功したとしても、命を賭ける割にはそんなに割が良くない。
金を稼ぎたいのなら、起業を志す方が期待値が高いはずだ。


人は破れていった人達には目もくれない。
井上尚弥になぎ倒される相手に同情するかもしれないが、そこまで行ける人は成功者なのだ。
スポットライトが当たることなく、金が稼げず注目も浴びることなく、ただ後遺症に悩まされる選手や元選手はごまんといる。
ぼくもそういう人を目の当たりにして、格闘技が怖くて辞めてしまった。
決して後悔していないし、人生で行った最良の決断の一つだったと自信を持って言える。
格闘技はそれなりに進歩していて、今のトッププレイヤーのほとんどは子供の頃から始めた選手ばっかりだ。
格闘技が盛り上がれば盛り上がるほど、ジムに子供を通わせる親は増えるだろう。
でも、個人的にそれは虐待に近いと思っている。
自己決定のできない子供に、脳に不可逆な損傷を負わせることに、疑問を持たない親はちょっと考えが足りない。

ぼく自身、格闘技を見るのをやめたいなと思うことが増えた。
人体の破壊を楽しみながら見るというのは、あまり褒められた行為じゃないなと思う。
格闘技ときっぱり離れられるかはさておき、記事を書く頻度は減らしていきたい。