魔王 を読んだ
魔王はポール・ル・ルーがITで成り上がって麻薬や暗殺組織などのコングロマリットを作り上げ、それを捜査機関が追うノンフィクションだ。
ちなみに、原題はmastermind 黒幕 だ。
以下はネタバレを含むので、気になる人はこれを読むより本を買うことをおすすめする。
ポール・ル・ルー(以下ルー)はネットで処方薬を売り捌き、そこで得た元手を使ってさらに違法性の高い事業に手を染めていく。
元々は違法に稼いだ金を資金洗浄したり、保管するために金などに変える過程でIT以外の事業をはじめていた。
実業では荒事のための人員が必要で、そのために雇った元軍人達で暴力組織を作り上げる。
組織は脅しから殺人まで行う。
事業に関しては、本書を読む限り、処方薬を売り捌く事業(RX)以上に優れたものは生み出せていなかったのではないだろうか。
ルーはプログラミング能力に関しては非常に優秀で、天才的だった。
しかし、実業となるとルーの得意分野からズレてくる。
中にはうまくいった事業もあるようだが、収益性やリスクリターンで考えると、RXが最高傑作だったように思う。
ルーは当初から黒幕的な立ち振る舞いをしていて、他人名義で事業を行うなど、リスク管理が徹底していた。
PCは暗号化し、事業に使うサーバーは自前で組んで自室に置くほどだ。
しかし、2つルーはミスを犯す。
1つ目が事業に使っていたメールアドレスの一つが、自分と繋がるフリーメールだったことだ。
これがきっかけでルーへの捜査が始まる。
漫画村でも同じミスで運営者が捕まっていたように、事業をはじめるにあたって、ごく初期段階であっても匿名性の高い専用のメールアドレスを用意しておくべきだっただろう。
ルーは途中から自前でメールサーバーを用意して匿名性を確保するようになったが、初期のフリーメールから身元が割れ、メールの中身が捜査機関に見られてしまう。
今ならルーのように自前のメールサーバーを使うか、プロトンメール等を使うのがいいだろう。
2つ目が普通の電話回線を用いていたこと。
普通の電話というのは、盗聴しようと思えば簡単に盗聴できてしまう。
物語の舞台が2000年代から2010年代なので、完全に暗号化した音声通話がどれほどのコストになったかは分からない。
それでも、電話の盗聴によってルーは窮地に立たされることになった。
現代であればテレグラムのような匿名性の高い音声通話サービスがある。
こういったものを使っていれば、もっと優位に立ち回れただろう。
違法な事業をするつもりはないものの、我々が事を起こす場合はこの辺りは気をつけておきたい。
ルーの事業の才能は素晴らしいのだが、中でも好きなのが、スターターキットを送るところと、徹底した権限の移乗、そしてトライアンドエラーだ。
部下には暗号化ソフトをセットアップしたPCを送り、顧客にはすぐに始められるように梱包資材ごとセットにして送りつける。
これは本当に大切なことで、すぐに始められるお膳立てがなければ人は動かない。
さらに、ルーは様々なことを他人に任せている。
管理職の部下を雇うのに、会わずに採用して、ほとんど会話すらしないまま仕事を任せてしまう。
中には目的と金だけ持たせて異国の地に人を派遣したりする。
そして自身はほぼ家にこもり仕事をしている。
事業を拡大するためには、いかに人に物事を投げるかが大切で、それを違法事業でもきちんと成立させている。
事業に関しても、新規事業ではトライアンドエラーを繰り返している。
とくに詳しい計画を立てることなく、様々な事業をはじめ、うまくいかなければ方向転換をする。
それに振り回される部下の姿も描かれるが、起業家としての才能が垣間見れる。
クローセンの新規事業編が面白い。
クローセンという元軍人の傭兵が登場人物にいるのだが、彼の新規事業編がとても面白い。
ここだけ別作品でもいいくらいの面白さだ。
ソマリアで海賊や部族をまとめ上げ、海賊のおかげで海洋資源が豊富な近海のマグロを捕獲し輸出する事業をはじめることになった。
単身でソマリアに送り込まれ、イチから事業を作り上げる。
事業拠点を作り、基地化し、近隣の村と交渉し数百人の海賊達を雇い入れ私兵兼護衛化していく。
ソマリアは無法地帯となっているため、イスラム国系の組織と対立したりする。
中には皆でブラックホークダウンを見て盛り上がったり(当然ソマリア側として)、近隣の女子校の設備を整えたりする。
本書はクローセンに対して好意的な姿勢で書かれている(理由は読めばわかる)ので、装飾された部分は多いだろうけど。
ルーの拠点はほぼフィリピンにあるのだが、フィリピンがいかに腐敗しているのかよく分かる話でもある。
ルーは賄賂をばら撒いて警察から役人、政治家まで買収している。
フィリピンでは麻薬が蔓延っていて、その資金はイスラム国系の組織に流れ、その金を元手にイスラム国系の組織はフィリピンを侵攻しているらしい。
この本を読むと、なぜドゥテルテがここまで支持されているかが理解できる。
いかに強権的であっても、反社会的勢力から理不尽に殺されて、捜査がされないよりはマシである。
ルーの処方薬事業は薬物乱用で死者が大量に出たため、アメリカの行政から圧力を受け、壊滅的な被害を受ける、
このことはルーも恐らく分かっていたのだろう。
だからルーは様々な事業に手を出していた。
事業のライフサイクルを考え、儲かる事業から次の種をまく。
なぜかルーは更に違法性の高い事業にいくのだが。
多くはグレーゾーンで稼いだ人は合法な分野に行きたがることが多い。
結果的には、RXが縮小するペースを他の事業で埋め合わせができなかったのだろう。
ここでルーが犯したミスが致命的であった。
もう少し早く他の事業が育っていれば、あるいは合法的な事業に目を向けていれば、また結果は変わっていたかもしれない。
RXがいかに、なぜ優れていたかというと、グレーゾーンで手垢のついていない、ブルーオーシャンだったからだ。
RXは後にルーが手掛ける他の事業と比べると、格段に洗練されている。
めちゃくちゃに儲かっていたが、儲けの仕組みが複雑かつ、巧妙に隠されているため、他の人は儲かっていることにほとんど気づかない。
故に競合が少なかったのだろう。
後にルーが手掛ける麻薬や暴力、武器売買などは参入障壁が高いものの、既に広く知られた儲かるビジネスであり、競合も多い上に捜査機関の締め付けも強い。
RXと比べると割に合わなかった、というのが正しいように思う。
最後に、この本から学べる最大の教訓は、アメリカには喧嘩を売るな、である。
RXはアメリカ向けの事業であるため、そもそもアメリカ抜きに話ははじまらない。
それでも、アメリカの捜査機関は(作中で有能なだけでない部分も多く描かれるが)世界最強の捜査機関である。
また逮捕されたときの引き渡し条項を結んでいる国も多い。
もしルーの事業がアラブ諸国やEUを相手にしていたら、結果は全然違っていたかもしれない。
ルーは様々な人間関係の問題を起こしていたものの、アメリカに喧嘩を売ったことに比べると小さいように思う。
色々と書いたものの、こんなブログを見るより本を読んだほうが面白いので読むことをおすすめする。
追記:
本書の中では触れられていないものの、2020年に25年の実刑判決を受けたらしい。
本書の中では10年程度だと書かれていたことを考えると、想定よりかなり長いのではないだろうか。
やはり、殺人はかなり割に合わない。
殺人なしでも彼のビジネスは成立していたであろうことを考えるとそう思う。
実際、RXではほぼ無罪判決だったことを考えると、麻薬と殺人というのは、逮捕リスクを考えると彼にとってかなり損な事業であったのだろう。