なぜスピードのある選手が激闘型になるのか
井岡との大晦日決戦に破れた田中、だいぶ前に同じように井岡に破れた八重樫、彼らは世界戦線に出てきた初期とはかなり異なるファイトスタイルをしている。
田中はキャリア初期は出入りのスピードとアングルを武器にするロマチェンコスタイルを志向していたし、八重樫は多彩なステップワークを駆使するアウトボクサーだった。
それが階級を上げていくにつれて、いつの間にか激闘スタイルになってしまった。
これはちょっとおかしな話で、海外では複数階級制覇するような選手は徐々にKO率を下げていく。
その代わりにスピードやテクニックを活かした判定型の選手になっていくことが多い。
ナチュラルウェイトのフレームの大きい相手にも下の階級から上げた選手が真正面から力勝負を挑んでも不利になるのは目に見えているからだ。
でも日本ではちょっと事情が変わってくる。
理由はいくつかある。
一つは階級が理由にある。
最近の日本人で複数階級制覇する選手ってのはたいていSフライ以下の選手だ。
Sフライ以下の体重の区切りは小さく、また選手層も薄いため、階級の壁がそんなに高くない。
だから下の階級からのゴリ押しが通用してしまう。
たとえばライト級出身の選手がウェルター級でゴリ押しするとか、ミドル級出身の選手がライトヘビー級でゴリ押しする、なんてのはちょっと考えられない。
階級毎の体重差があまりにも大きく、明確な体格差とパワー差はKOという結果に現れる。
だけどSフライ以下は1kgくらいしか変わらないので、さほど差があるわけではない。
だからスタイルの変更を明確に迫られる場面があまりない。
ちょっとずつ苦戦を強いられるようになるものの、抜本的なスタイル変更を強いるほどの階級の壁がないのだ。
もう一つが日本という市場で、日本では特にKOが好まれる。
被弾を減らしてポイントメイクしつつリスクコントロールをしながら勝つ、なんてことはあまり望まれていない。
必ずしも強い相手じゃなくていいから、KOすることが望まれる市場なのだ。
これはたとえば長谷川、山中、内山あたりをみても明白である。
KOできないなら、より多くのダメージを与えることを望まれる。
井上や井岡や亀田はちょっと特殊だけど、大抵は日本の市場性に飲み込まれる。
そして、軽量級の世界最大の市場は日本なのだ。
ラスベガスが本場と言うけれど、日本で日本人が戦うほうが金になるし知名度も上がる。
ロマゴンを中心に軽量級が盛り上がったのは単に彼らのファイトマネーが割安で放送局にとって都合が良かったからだ。
そういう訳で、勝ちは必ずしも派手なダメージの与え合いよりも優先されるわけではないのだ。
こうして日本で長く世界戦線を戦っているうちに、格下をKOするがディフェンスがややザルなボクサーが出来上がっていく。
日本はダメージを優先する市場なので、当然そういう技術が発展していく。
アメリカのボクシングでは負けてキャリアに傷がつけば商品価値の低下につながる。
だから、負けないための技術というのも発展していく。需要があるからだ。
うまくポイントメイクをしたり、12Rを前提にペース配分をする。
もちろん、リゴンドーみたいな外様がそれをやるのは許されないのだが。
ボクシングはアメリカ人とメキシコ人とイギリス人以外には不利なスポーツなのだ。
日本とかプエルトリコとかドイツはやや不利程度。
そういうわけで、市場性が技術の発展を決めるのである。
軽量級であること、日本市場の嗜好、市場性に沿った技術の発展によって、スピード豊富なボクサーは激闘型のファイターになっていく。
特に市場性がもっとも大きいのではないだろうか。
長谷川も山中も、もっとKOは少なくてもテクニカルな選手でいられたはずだと思っている。
これが必ずしも悪いことではなのだが、個人的にはもっとリスクマネジメントが上手な選手が好みだ。
ダメージは最小限に抑えたほうがいいし、魅せるならディフェンス技術やリスク管理能力を魅せてほしい。
近年でこのサイクルから外れた選手がいる。
井上と井岡と亀田興毅である。
井上はそもそも階級の壁にぶつかることなくKOを続けている。
いつかその壁にぶつかったとき、ディフェンシブな井上が見られるのか、それとも激闘型になってしまうのか。
亀田はリング外のパフォーマンスで人気をはくし、批判はあったもののKOに限らない試合を続けることができた。
彼はその特殊なセルフブランディング、メイウェザーをモデルにしていたと思うのだが、良くも悪くもアメリカ型の商品価値を作り上げることができた。
井岡一翔もまたちょっと特殊で、亀田の地盤をTBSから引き継いだ形になる。
日本人ではずば抜けた技術力を持つものの、KOを無理には狙いに行かなかった。
叔父からの教育もあるだろうし、おそらく敏腕トレーナーの父の影響もあるだろう。
またタニマチの影響も大きそうだ。
いつからかパチンコメーカーのSANKYOが井岡のメインスポンサーになっていて、本来ならあり得ない待遇を獲得している。
ジムの離脱騒動からの海外移籍にシンガポールでの試合を日本で放送していたり、入れ墨を平気で映していたり、明らかに大きな存在による庇護がある。
今回負けた田中には、自分のスタイルを維持できるだけの後ろ盾が無かったとも言える。
中部地方の事務に所属して、どれだけ重厚なマッチメイクを積んでも地上波放送されなかったり、一般人に浸透するだけの人気を得られなかった。
キャリアの厚みやポテンシャルでいうと、歴代でも随一のものを持っているはずなのに、それに対する対価はあまりにも小さい。
ただ中部地方の小規模なジムに所属しているというだけでだ。
そうしているうちに、日本人のいつもの流れに飲み込まれてしまった。
田中が今後、どういうキャリアを積んでいくのかわからないし、もしかするとこの辺りで下りるのも今後の人生を考えると悪くないのかもしれない。
田中の理想はかつてはロマチェンコであり、今はゲイリーラッセルではなかろうか。
八重樫にもかつてはイヴァンカルデロンになることを望んでいたのだが。