アナエロビックの時代が来る

スペシャルティコーヒー業界のここ5-10年くらいのトレンドは完全にゲイシャ一択だった。

猫も杓子もゲイシャを育てて、COEはゲイシャが上位を独占した。

ゲイシャが評価されていく流れの中で、自然とゲイシャ的なコーヒーがある種の理想とされていったという流れもあった。

ゲイシャ的なコーヒーというと、フルーティーさやフラワリーさを全面に出した軽やかで香りのいいコーヒーといえる。

こうして、良いスペシャルティコーヒーの評価基準がさらに明確になると、今度はそのような特徴を持つコーヒーを、生豆のポテンシャルではなく精製段階で作り出そうという試みが行われるようになった。

アナエロビックと言われる嫌気性発酵を用いると、よりフルーティーなコーヒーが作れるようになった。

出始めたばかりの頃は目新しくはあるが、過剰な味付けがくどく感じられた。

しかし近年の精製技術の発展は目覚ましいものがある。

くどすぎず、そして他の精製では得られない特徴を出すことに成功した。

 

アナエロビックが強力である理由は、豆の味を大きく変えるということもあるが、試行回数の多さにある。

コーヒーは樹木であるため、品種改良を行ったり、栽培をして結果が出るまでに数年から数十年という多大な時間を要する。

対してアナエロビックを含めた精製過程は数日程度で済むし、ごく少量から行うことができる。

短いサイクルかつ少量で、膨大な試行錯誤とノウハウの蓄積が可能になった。

近年の目覚ましい品質の向上はこのあたりが理由だろう。

アナエロビックのトレンドは恐らくゲイシャ以上のものになるはずだ。

とんでもないスピードで精製技術は進歩を続け、想像もしなかったようなコーヒーが数年後には飲めるはずだ。

 

しかし、デメリットも存在する。

アナエロビックは手間がかかり、品質管理が難しいため、小規模な農園や投資資金のない地域では難しいだろう。

国によっては農園ごとではなく、地域ごとの精製場に複数の農園からまとめられることもある。

このような場合、アナエロビックの恩恵を最大限得ることは難しいだろう。

いま現在、アナエロビックに強いのは中南米であり、比較的高品質なコーヒーを小ロットから扱える地域だ。

今後どうなっていくかは不明だが、地域差というのは一つのキーワードになってきそうだ。

 

次に求められる生豆の変化について。

精製過程で風味が作れるようになるため、求められる生豆の味はクリーンなものに変化していくのではないだろうか。

フルーティーで軽いものが流行り、スムーズでボディのしっかりしたものが消えていったように、クリーンでアナエロビックの邪魔をしない豆が作られていくのではないか。

 

そして最後に精製過程の信頼性。

アナエロビックはフルーティーさを付加することができる。

たとえば南国フルーツやピーチなど。

これらはかつてないほどに強く特徴づけることが可能になったわけだが、本当にコーヒー豆だけでその特徴を出すことに労力を注ぐだろうか。

雑な言い方をすれば、桃や桃の香料を加えてピーチ感を強めることだって、不可能ではないのではないか。

クラフトビールでは柑橘類を入れて柑橘の香りをつけるのが一般的だが、コーヒーでそれをやらない理由はどこにもない。

ゲイシャが持て囃される中で、実はゲイシャ種以外の品種をゲイシャと謳って販売している例がいくつもあるが、アナエロビックの登場によって信頼性が揺るがされる例も増えるだろう。

 

最後に個人的な好みを言うと、フルーティーな飲み物は確かに美味しい。

コーヒーだけではなく、蒸留酒醸造酒ではフルーティーさが美味しさと結び付けられる。

しかし、そればかりを追い求めるのはちょっと好きじゃない、というか、それならフルーツを食べればいいのである。

スタバみたいに香料を入れるほうが経済的だし無駄も少ない。

コーヒーにはフルーティーさだけじゃなく、重層感だったり滑らかさだったり、苦味の中にある甘さなんかも求めたいなと思っている。

 

ゲイシャ狂想曲の中で、スペシャルティコーヒーはどんどん先鋭化していった。

普通の人は焙煎が深めで酸味の少ないものが好きだったりする。

なんならスタバのコーヒー入り砂糖飲料の方がよっぽど売れている。

普通の人がとても買えないような値段で(一般的に)酸っぱいコーヒーを飲むのは、変人の贅沢な趣味である、という視点を忘れるとコーヒー業界はあらぬ方向に行ってしまいそうだ。