コーヒーのカッピングスコアがあまり参考にならなくなってきているのでは

最近のスペシャルティコーヒーではカッピングスコアがそこまで重視されなくなってきているのでは?という話。

ぼくはコーヒー専門家でも何でもないただのアマチュアなので、そういう感じで。

 

歴史の浅いスペシャルティコーヒー業界の大きな変化は3つある。

1つ目が黎明期のクリーンなコーヒーの時代。

2つ目がゲイシャの時代。

3つ目が最近の精製方法の時代。

 

大雑把な流れでいうと、ネガティブな要素の少ないクリーンなコーヒーが評価される時代から、ゲイシャ的な華やかさがあってボディは軽めのコーヒーの時代、もっとド派手な風味がつけられるようになった時代と移り変わっている。

カッピングスコアは客観的な指標と言いつつも、トレンドによって移り変わってきた。

クリーンカップの時代からゲイシャの時代への移り変わりでは偉い人の中でひと悶着あったみたいで、クリーンさだけでは評価できないけど美味しいコーヒーどう評価するべきか、みたいなことがあったらしい。

 

スペシャルティコーヒー業界の取り組みと実際のクオリティの向上は素晴らしいものの、ゲイシャの時代になったらCOEトップがゲイシャだらけになって、うーんと思うこともあった。

実際に上位のゲイシャ以外の品種の方が飲んで楽しいものは多かったように思う。

 

最近は精製方法の研究が進んで、更に派手な風味をコーヒーに付与できるようになった。

分かりやすく派手。ゲイシャ以上にケバケバしている。

アナエロビックのやり過ぎなフルーツ感とか、以前なら発酵臭が強すぎるとして減点されていたナチュラルフレーバーが強く出ているものもある。

もっと言うと、ネガティブな要素があるのだけど、それを補ってあまりある特徴を持つコーヒーなんかもたくさん出てきた。

 

こういうものをスペシャルティコーヒー業界の偉い人はいかに評価していくのだろうか。

現状では、あまり評価されているわけではなさそうである。

以前はカッピングスコアと美味しさ(と値段)はおおよそ比例したのだが、現在ではスコアと美味しさの相関度が少し落ちてきたように思う。

まあ、スペシャルティコーヒー業界がゲイシャのときのように基準を変えていくのかもしれない。

 

ぼく個人の感想としては、画一的な基準で測れる美味しさというものを、精製技術の進化が追い抜いてしまったと感じている。

画一的な基準を作って浸透させるには時間がかかる。

世界中の審査員で美味しいコーヒーの基準を統一することがどれほど難しいのかは想像に難くない。

最近の精製処理で味付けしたコーヒーはロットも少ないため、多くの人が同じコーヒーを飲んで情報を共有するのはもっと困難になっている。

これに対して、精製処理の技術は飛躍的に進歩している。

コーヒーを品種改良して植え付けるには年単位の時間がかかるのに対して、精製処理は1年で何回も行うことができる。

小ロットに分けて大量に試作品を作るのが最近のブームだ。

改良のサイクルが非常に短いため、技術の進歩には目覚ましいものがある。

また、より科学的なプロセスを持ち込みやすい。

つまり、樹木の品種や農法と比べると変数の調整が容易だったり、他の地域で行われている方法の再現性が高い。

 

これからのスペシャルティコーヒー業界がどうなるのかは分からないけど、味とスコアと値段が乖離していくのか、権威がスコアから農家やマイクロミルに移っていくのか、はたまた精製ブームが廃れて次のブームがくるのか。

 

ゲイシャの需要に関しては、相対的に落ちていくような気がしている。

精製で味付けするなら、繊細で香りが高くて収量の低いゲイシャよりも、もっとボディがあって収量の高い豆の方が向いている気がする。

もっと言うと、早生や晩生で収穫タイミングをずらせると精製段階がより楽になりそうだ。

まあ、夜に出回っているゲイシャも品種鑑定するとゲイシャじゃないことが多いらしいので、もう既にゲイシャ狂騒曲は終わっているのかもしれない。