人間は記憶媒体ではない

人間は記憶媒体ではない

学校教育を受けていると、人間の能力の良し悪しは記憶力で決まると思いがちだ。
だけど、人間の記憶力は大したことがない。
物事をすぐに忘れるし、事実を捏造して勝手に改変する。
細部まで映像記憶することもできない。
その点は科学技術の方がずっと優れている。
映像も画像も高精細に記録できるし、複製もできる。
日付やタイトルをつければ検索機能も効く。
テキストではなおのこと強力な検索ができる。
いまの学校教育が始まった頃には、今ほどよくできた外部記録装置がなかったため、ぼくたちのポンコツな記憶力を記憶媒体として使うしかなかった。


では、人間が得意なこととはなんだろうか。
抽象化とひらめきだ。
具体的な物事の記憶は苦手だが、具体的な物事を抽象化して概念として思考することは得意だ。
また、概念と概念を結びつけたり、全く違う物事に関連性を見出したりと、ひらめくことが人間が機械と比べて大きく優位な点だ。

もう一つ人間が得意なことがある。
機械に何を記録させるのかを決めることだ。
機械は機械が何を記録するのかを決定できない。
記憶容量は限られているため、価値のありそうなものにアタリをつけて、記録対象を決めること。
これは人間にしかできない。


現代の学校教育では、これらの人間の能力を測ることができない。
だから、学校の成績や学歴と優秀な人間は全く異なる。
評価軸が全く違うのだから。


現代人は自分の頭を記録媒体として使う必要はあまりない。
HDDやクラウド、アプリなどを使って自分の外側に記録媒体を持っておけばいい。
身体の外部化と言える。
いかに自分の記憶を外部化して使いこなせるか。
記憶の外部化の能力こそが現代の暗記力となる。
テストの点や偏差値なんて誤差の範囲でしかない。


抽象化やひらめきもAIができるようになるかもしれない、という話ある。
しかし、現時点で機械と比べて明確に劣っている記憶力を武器にするよりは、まだ勝っている部分にかけるほうがよっぽど良い。


優秀さは抽象化とひらめき、記録する対象を決めること、と書いたけど、これだけあれば成功できるわけではない。
他には実行力や行動力、計画性や忍耐強さなどが必要だ。
ものによっては、ひらめきよりも愚直に計画に従ってひたすら継続し続けられる人の方が成果を出すかもしれない。