運の存在を想像できない人とザイルは結べない

無邪気な自己責任論をとなえる人がいる。

とくに今まで順風満帆に生きてきたような人、成功者ほど自己責任論になりがちである。

俗に言うマッチョ思考。

彼らは弱者への理解と共感、自分が弱者に陥るかもしれないという想像力に欠けている。

 

市場には運の存在がある。

それはコントロールできるような、いわゆる引き寄せの法則的なものではなく、たんに確率的に起こりうる事象である。

たまたま運が悪くて失敗することは、実際に存在するし、その逆もある。

我々にできることは、いかにリスクを管理するか、運の存在を理解した上で、その影響を小さく抑えることである。

 

しかし、自己責任論者は運の存在を矮小化しがちである。

努力によって成否がコントロールできると考えている。

たしかに、努力も成否の大きな要素の一つであるのは間違いない。

ただし一回の不運に見舞われて再起不能なダメージを負う可能性を考慮して賭ける発想は不可欠である。

 

運の存在は市場に限らず、人生にも影響を与える。

自己責任論者は生活困窮者やメンタルを病んだ人への想像力に欠けがちだ。

彼らをただ怠惰なものとして捉え、自己との連続性を認識できない。

我々はちょっとした不運によって、生活が困窮することも、メンタルを病むこともある。

そういう認識ができない。

 

努力すれば成功し、努力しなければ落伍するというのは分かりやすい価値感であるが、そういう人は自分が弱者になったときの対処が下手で立ち直るのに随分と労力を要する。

もっというと、失敗に対する対応策や保険を用意しておけば助かる場面でも、それを考慮することなくズルズルと落ちていく。

周りへの辛辣な態度は、自分が困窮した際に返ってくることになる。

我々はいつだって、成否を行き交う可能性に晒されている。

そのことを理解しておくほうが、うまくいく。

 

市場であれ、人生であれ、共にするならば、運の存在を理解した上で、想像力と現実的な対応策を備えた人がいい。

自分も賢明な人間であれば、共にリスクを分散し半分以下に、利益は倍以上をもたらしてくれる良いパートナーになるはずだ。