ビジネス書はなぜ間違うのか、感想

「ビジネス書はなぜ間違うのか」という本を読んだ。

この本の指摘としては、ビジネス書の多くがいい加減なデータの処理に基づく適当な答えしか出していないということ。

ビジョナリーカンパニーなどを例にあげて、成功した企業情報のみを取り出して、その成功の理由を後付しているに過ぎない、と言っている。

比較群も無ければ、追跡調査もしておらず、ただ成功した企業の情報を後から調べたのみ。

エビデンスレベル、という単語が頻出する現代においては、この手の調査手法が信頼できないことを知っている人も多いだろう。

 

また、同じ企業であっても、調子がいいときと悪いときでは、論調やアンケート結果は大きく異なる。

成功しているときは経済紙などで過剰に持ち上げられ、失敗すると過度に批判される。

内実は大して変わりがないというのに。

実のところ、経済記者などは、良い業績を見ればその会社の経営手法が素晴らしいものに見え、失敗すれば散々なものに見えるというわけ。

これは働いてる人の主観も同じである。

 

これらは結局のところ、業績が根底にある。

良い経営手法だから儲けているのではなく、儲けているから良い経営手法に見えるのだ。

この経営手法を実践すると儲かりますよ、ということは、経営手法から説明することはできない。

卵が先か鶏が先かという例えでいうと、経営手法が先ではなく利益が先、というわけである。

 

ビジョナリーカンパニーなどに取り上げられた企業の業績を追跡すると、多くの企業が市場平均よりも低迷している。

単に平均回帰しただけである。

 

本書のメッセージとしては、殆どのビジネス書はいい加減である、ということ。

そして、あらゆる企業に通用する経営手法、いわゆる聖杯は存在しない、ということである。

 

そして、本書の中で語られる良いマネジメントとは何かというと、「戦略の選択と実行」という結論になる。

そして、良い実行とは何かというと、業績に左右されない(先入観の入らない)測定指標を用いて評価される、具体的で客観的な目標のことだという。

たとえば、在庫回転率だとか、生産にかかる時間の縮小だとか。

 

さて、ここからはぼくの感想を書く。

この本は9章までで終わっていればいい本であった。

けれど、10章で成功した経営者が出てきたところでずっこけた。

それはさておき、この本を読むことは凄くためになる。

というのも、今後はほとんどのビジネス書を読む必要がなくなるからだ。

それで浮いた時間を使って他のことをするほうが、ビジネスがうまくいく、というわけ。

 

ビジネス書の多くのことがデタラメという見も蓋もないことを書かれると、ぼくたちは指針を失う。

何かを学べば学ぶだけ、成長して真理に近づいているのだと思ったけれど、実のところ同じところをグルグルと回っているに過ぎない。

 

何を指針に判断をすればいいのだろうか、と考えたときに3つのことが思い付く。

 

1. 科学できる部分に対象を絞る

本書は、多くの経営手法と成果について因果関係はないとしつつも、経営に科学を持ち込める部分はあるとしている。

たとえばPOSレジの分析であったり、A/Bテストであったり。

これはビジョンに比べると些細な部分でしかないが、その些細な部分は確実に、科学を適用できるというわけだ。

 

2. 細部に絞る

これは1にも通ずるが、大きな部分は科学になりにくい。

たとえば働きがいと業績とか、リーダーシップと業績とか。

でも、ある程度実務をやっていると、細部のエッジを見つけることは可能だろう。

ここだけは確実に他者よりも優れている部分や戦略など。

しかし、厄介なことに、細部はほとんどの場合、表に出てこない。

それは本当に利益の源泉だし、ほとんどの人には理解不能なものだからだ。

その結果、ビジョンとか、戦略決定とか、思想みたいな大きな、一般化された形で、ほとんど利用価値のない形で表に出てくることになる。

 

3. 科学に踏み込む

本書で批判される対象、その分析プロセスが良くなかった。

そこをきちんと踏まえれば、ちょっとは役に立つデータが取り出せるかもしれない。

最近は経営関係の論文をあまり読んでいないけれど、最近の論文はもう少しデータの取り扱いがうまくいっているかもしれない。

それに何よりも、消費者としても、ぼくたちはきちんと統計を学んでおくべきなのだ。

 

 

ぼくは昔、株のデータ分析をしていた。

分析自体はチープであるものの、そこから学んだことは、世の中で言われていることの多くはいい加減なことだということ。

当たり前のように言われていることでも、自分で手を動かせば、それがいい加減であてにならないことがよく分かる。

本当に大切なことは、自分でデータに触れないとわからない。

そこから分かることは、ほんとうにごく僅かだということ。

そして、そのごく僅かなことでも、利益の源泉になる。

世の中で言われているいい加減なアドバイスや戦略に従っても、めちゃくちゃ損するわけではない。

大抵は可もなく不可もなく。

めちゃくちゃ損するなら反対の行動をとればいいが、別にそういう訳でもない。

時間や労力を損するだけ、というのがまたたちが悪い。

おそらく、世の中のビジネス書もそんなものなんだろうと思う。

 

本書を読んでビジネス書とどう付き合うか、ということを考えるきっかけになった。

ビジネスと科学の適切な付き合い方について考えた。

と同時に、ビジネス書よりも他の分野に目を向ける方が有益な時間の付き合い方だなと思った。

たとえば健康など。

最近ではどういう生活スタイルが健康につながるか、ということがかなり明確になっている。

これは科学だ。

そして、その一つに筋トレがある。

筋トレ自体もかなり科学的な分析がされている。

筋肉量を増やすにはどうすればいいか、多くのことが科学で解明される時代なった。

ということは、同じ時間を使うなら、ビジネス書を読むよりも筋トレについて学び、行うほうがQOLに貢献するのでは、ということだ。

睡眠や食事についても同じく。

 

 

追記: 

この本ではストーリーに対する警句が書かれていた。

人はストーリー仕立てにされると信用しやすい、というもの。

これは昨今でもよく言われることである。

サピエンス全史とか、鉄・病原菌・銃などは、複雑性を切り捨ててストーリー仕立てにしている。

これは受け入れられやすいが、事実とは異なる。

この点については学者からの批判も大きい。

我々はストーリーに弱い、というバグを理解する必要がある。

ニコラス・タレブはこれらを「物語の誤り」としている。

「後付けでストーリーを構築し、事象に特定可能な原因があると思い込む。」

というものらしい。