低俗な情報はドラッグのように扱う

低俗な情報に触れることを強く禁じる


前回の記事の続き。

前回は人間は箱で、入力する情報の質が悪ければ、出力される成果物も恐らく質が低いだろう、という話をした。


今回は、可塑性という観点から論じたい。
人間は自己を確固たる揺るぎのないものだと考えがちだが、ぼくは人間はもっと揺らぎのあるものだと考えている。


自分は常に周りの影響を受けて変質し続けているのであり、今この瞬間の自分は、その時点にしか存在し得ない。
変化を続ける中のある地点が現在の自分で、次の瞬間にはまた別のものになっている。


または粘土に例えることもできる。
人や情報に触れるごとに、自分の形もまた変化し続ける。


どんなに強固な意志があれど、周りの影響を受けて変質することは変えられない。


良いものであれ、悪いものであれ、情報に触れてしまったあとは、ただ変質するだけである。
我々にできることは、触れる情報の取捨選択をすることだけだ。


低俗な情報に触れ続ければ、自分もまた低俗なものになるだろうし、素晴らしい情報に触れていれば自分もまた素晴らしいものに近づいていく。


ここで言う情報とは、単にコンテンツのことを指すのではなく、周りにいる人も含めて、全て情報といえる。


だからこそ、低俗な情報に触れることは強く禁じるべきだろう。
ドラッグと同様に低俗な情報と距離を置くべきだ。
ドラッグをやれば、元の自分には戻れないように、低俗な情報に触れると、それ以前の自分には戻れない。


低俗な情報に触れるくらいなら、一人で目をつむってぼーっとしているだけの方がずっと良い。
低俗な情報はドラッグのように扱うべき、というのが、今回の結論。