インターネットの論争に加わらない

 

インターネットの論争というのは、昔からあまり有益なものではなかった。
というのも、事実よりも雰囲気が優先されるからである。
ディベート的にその場の雰囲気で結論を出すことを優先しがちである。
詭弁もまかり通っている。

現代ではたいてい、抱えている信者の数が趨勢を決める。

なぜこんなことになっているかというと、論争の中心にいる人も、観客もあまり質が良くないというのが最大の理由だろう。
まず観客は大衆なので、事実がどうとか、そういうややこしくて理解の難しいことが嫌いである。
ぼくもその気持ちはよく分かる。
あまり有意義な論争ができる環境ではないので、まともな人はインターネットの論争に加わらない。
まともな人が淘汰されていき、ますますインターネットの論争は不毛なものになっていく。
インターネットの論争の中心にいるのはたいてい、信者ビジネスの教祖たちだ。
こういうのは、信者になっても搾取の対象になりがちだし、教祖は信者のニーズに答えるためにますます過激になっていく。
誰も幸せそうに見えない。
あくまでぼくの感想なのだが。
ということで、インターネットの論争は参加しないだけでなく、あまり視界に入れないほうが良いというのがぼくの結論だ。