人間関係は分散投資
この前、釣った魚に餌をやらないのは人間の合理的な思考の結果。
相手が愛を注いでくれなくても、その相手を切ることは難しい、ということを書いた。
その時は経済学的な考えで書いてみた。
今回はもう少し、個人の心理的な実感をベースに書いておきたい。
一人の人間に人間関係を集中すると、いざとなったときにすべてを失うリスクが生じる。
それが怖くなるので、ますます一人の相手に依存してしまう。
これは非常に良くないし、行き過ぎた期待は互いの関係性を歪ませる。
その最たるものが夫婦だ。
夫婦は生活パートナーと性生活のパートナーを兼ねることになる。
更に友人関係であったり、子育てであったり、経済的な役割を担うことになる。
夫婦関係が冷え込んでいるのに、関係を解消できないというのは、そういう状態がある種の最適解になるメカニズムが働いている。
それを避けるには、一つ一つの役割を分散させてあげるのがよい。
友人は家庭の外にも持っておく。
子育てはお手伝いさんを雇ってみる。
性生活も風俗や不倫を容認する。
関係性が冷え込んでいても関係を維持するのが良い、という考えがあるかもしれないが、個人的には反対である。
個人は自己の幸福をある範囲まで追求してよいし、そのために不幸せな状態に甘んじる必要はない。
一人の人に多くの役割を依存しすぎない、あるいは多くの役割を持たせても、それぞれの依存度を下げるという戦略は個人の幸福のために必要だ。
ただし、こうした戦略は、関係性がうまくいっているときには、えてして忘れられる。
しかし、余裕のあるときにこそ、あえて自分のさらなる余裕を確保することが大切なのだ。
いざ関係性が悪化してから、他の人と関係性を築くのは、難易度と不確実性を高くする。
何事においても、晴れの日に雨の用意をしておくことは、雨になって慌てて用意するよりもずっと賢いことなのだ。
反対に、一人の人を依存させて自分に縛り付けておきたいのなら、自分に役割を集中させるのがよい。
他人との関係を切らせて、自分だけと付き合うようにさせる。
これは洗脳やDVの手段として広く知れ渡っている。
ただしぼくはこういうやり方は好きではないが。
どんなに特定の人との時間が居心地が良くて幸福であっても、一定の時間を別の人と過ごすことにあてたほうがいい。
別に親密な関係性でなくても、習い事で別のコミュニティに入るだけでも良いと思う。
「自立とは依存しないことでなくて、依存先を増やすこと」という言葉がある。
人生における不確実性を下げるために、人間関係は適度に分散させておくほうが良い。