プロボクサーの人格問題
プロボクサーが色々と問題を起こすたびに、いろいろな意見を目にする。
個人的にはプロボクサー、というかアスリートに人格を求めるのは間違っていると思う。
彼らはエリートであればあるほど、社会経験なんて積んでないわけで、何が許されて何が許されないかの基準そのものが世間とはズレている可能性が高い。
ここではボクサーについて触れるが、エリートボクサーはたいてい、高校や大学を卒業してそのままプロになり、ボクシングを職業にする。
プロボクサーというのは実は数百人いて、単にプロと呼称される人数ではかなり数が多い。
しかし、プロとしてボクシングだけで食っていける人は本当に一握りだ。
せいぜい数十人くらいではないだろうか。
一般的なプロボクサーというのは、本業を持っている。
本業では当然、社会人としての当たり前を教えられるし、最低限のモラルがなければ労働も難しいだろう。
しかしエリートはそうではない。
純粋培養されたプロエリートは、労働経験なしにボクシングで食っていける。
更に家庭環境について考えてみる。
最近のエリートボクサーは幼少期からボクシングをしている。
主に親に勧められる人が多いのではないだろうか。
ボクシングとは非可逆に脳に損傷を負わせ合う競技である。
子供の脳にダメージを与えてもいい、と考える親は、良くも悪くも世間一般とはズレているだろう。
要するに、少しズレた家庭環境で育ち、そのまま大人になった人達が、現代の非常に高度なモラルを持ち合わせることは難しい。
アンドレ・ウォード氏のような人格者の存在がただ奇跡的であって、たいていのエリートボクサーの倫理観は世間とはズレている。
個人的な経験としても、ボクシングジムと音楽教室や他の運動クラブの層というのは、明らかに違うものがある。(今はどうか知らないが)
個人的にはボクシングという競技を楽しんでいるし、競技者をリスペクトしているが、彼らがモラルを備えた人格者であるかどうかはまた別の話である。
どちらかと言うと、ボクシングでは一流ではないが、働きながらボクシングを続けているようなタイプの方が一般人にとっては接しやすいように思う。
まあ、世界のボクシングを例に取ると、人殺しや暴行事件なんてのがよくあるので、不倫だとか器物破損なんてのは、まあ笑って済ませる話である。
そもそも他人の下半身事情なんてのは世間様がどうこう言う問題ですらないんだが。