客を選ばない店

好きなカフェがある。
もう何年も通っていて、顔馴染みのマスターがいる。
落ち着いた雰囲気の店で、商品の味も良い。
ただ、厄介な客を引き寄せる店でもある。


マスターは寡黙で寛容な人だ。
だから、よくも悪くも客を選ばない。
そのせいで厄介な客が通い詰め、他の客の居心地を悪くしている。
たとえば、狭い店内に響き渡るほど大きい声で話す人や、隣の客に話しかけるような人、ラストオーダーや閉店時間を過ぎても平然と来店したり居座る客など。
カウンター席でこの人が隣に座ると嫌だな、と思う人は何人もいる。
常連同士が固まって大きな声で話し始めると、席を離れたくなることもある。


自分がそうでないと言い切る自信はないが、郷に入っては郷に従えというタイプなので店の雰囲気を壊さないようには心がけている。


彼らはきっと寂しい人なのだ。
他には居場所がない人で、流れ着いて今のカフェに至るのだと思う。
中高年で話し好きで、場の空気を読まない人達だ。
声が大きいのも、きっと耳が遠くて声量のコントロールが効かないのだろう。
理解はするし、ひょっとすると将来の自分の姿かもしれない、と想像することもある。


だからといって、マスターの寛容さに甘えて他の客の迷惑になる行為を行ったり、店の経営に悪影響を与えることを擁護することはできない。


彼らのことをうるさいと常連っぽいぼくに言ってきた客もいるし、彼らがいないときに苦情を言う人もいる。
顔をしかめて出ていく客もいる。
常連が店を支えるとはいえ、たかだかコーヒー数杯で店が回るわけがないのだ。
新規顧客の獲得が必須だ。
それに、高齢者の客の寿命より店の寿命の方がおそらく長い。


反対に客を選ぶ店もある。
おしゃべりを控えろと明文化し、マスターの雰囲気は厳格で、注文以外の会話はほんど聞こえない。
最近はこちらの店の方が好みになりつつある。
安心感がある。
いつ行っても客によって不快な気持ちになることもないし、店のルールに従うとわきまえている客は品がある。
緊張感が漂っているので疲れることもあるけれど。


ぼくは客だから偉いという感覚が薄い。
店に行くときは、その店のルールに従うのが良いことだと思っている。
自由度が高く客に合わせたい店では色々とオーダーをするし、厳格なルールがあるなら、なるべく従う。
店のルールが合わないなら行かなければいいだけだ。


あくまでぼくの考えなのだけど、ぼくは店の従業員や周りの客に甘えて迷惑をかけてまで、自分の欲望を満たすのがいいとは思えない。
常連であっても、他の客の迷惑になるなら、従業員が注意しても良いと思っている。
きっとそれが、より多くの客のニーズを満たし、より多くの人を幸せにする。


と同時に、自分の要望を満たせる店を探す必要があるとも思っている。
ただ寂しくて、仲間内で話したいのなら、静かで落ち着いたカフェに行くのは間違っている。
地元の小さな居酒屋とかスナックとか、あるいは趣味のサークルとか、そういった交流目的の場所で欲求を満たすべきだ。

ただ、こういうことは、きっと歳を取ると実践するのが難しくなるのだろう。
理解できないのか、寂しさが有り余って衝動を抑えられないのか、前頭葉の働きが衰えてるからか、理由は不明だ。
ただ、若いうちに行動原理を自分の中にインストールしておかないと、歳をとったときに自分もあっち側に行ってしまうのではないかと思う。