エビデンスの時代のエビデンスとの付き合い方

エビデンスが求められる時代になった。

素晴らしいことだ。

でも、エビデンスに頼りすぎて、個人差を無視するのは良くない。

それが自分に合っているのか、ということが蔑ろにされがちだ。

どうすればエビデンスと個人差の折り合いをつけられるか、自分なりのポイントを書く。

 

エビデンスに従うかどうかのポイントは、観測期間とジャンルによって変わると思っている。

一言でいうと、自分自身で実験と結果のサイクルを回せるか。

 

たとえば、喫煙が寿命に与える影響について。

喫煙が寿命を縮めるというのは、疫学的に証明されている。

しかし、喫煙をしていても長寿の人はいる。

自分がその例外かどうかは、死んでみるまで分からない。

つまり、人生という超長期のスパンで1度しか結果が観測できない。(死んだら観測ができないから0とも言える)

こういうタイプに関しては、エビデンスを信じておく方が良い。

 

次にエビデンスに基づいた最高の仕事術があるとする。

本当にあるのかはさておき。

この手のものは、自分で観測が容易だし、何度も行える。

エビデンスを眺めるのも楽しいけれど、それが自分に合っているのか、効果測定をすることが何よりも大切になる。

自分実験をしよう、という話だ。

たとえば、サプリの効き目とか、適切な筋トレとかもこのジャンルだろう。

 

効果測定をする場合、きちんと効果を記録すること、一度に変える変数は一つだけにすることが大切。

論文ほどの正確さは必要ないし、プラセボを排除することはできない。

正確性よりも大雑把に自分に合っている方法を探ることの方が大切だ。

 

ざっくりした方針としては、医学や健康に関してはエビデンスベースに、そうでない分野はエビデンスの重要度を下げるというのは使える。

パワーポーズみたいな、キャッチーな研究結果は、後々否定されがちだ。

この手の実験は再現性の危機問題がある。

 

あとは致命度。

健康は一度壊すと元に戻らないが、仕事術はいつでも元に戻せる。

何度でも失敗して方向転換できるものは、気軽に自分実験をするといい。