あらゆる事業はギャンブルである

ここで言うギャンブルとは、射幸心を煽るものではなく、元手が種銭を出して結果的に元本を割るリスクがあるものを指す。
それは投資じゃないかと言う人もいるが、ぼくは投資と投機を区別しない。
あらゆる投資は期待値のマネーゲームであり、それはギャンブルである。

事業はその大小を問わず、ギャンブルだ。
しかし、世の中の多くの人はそう感じていない。
何故なら彼らは賭ける側の人間ではなく、賭けられる側の種銭だからである。
種銭であるうちはその認識で良いのだが、他の人とは違うものを得ようとすると、たちまちギャンブルの世界に足を突っ込む必要が出てくる。
たとえば大金。
大金を得るために事業を起こすなら、規模の大小を問わずギャンブルをする必要がある。
元本保証とか、安定とか、そういうものは別のリスクをうまく包み隠されただけのまやかしである。
フリーランチはない。

ギャンブルの怖さというのは、パチンコ中毒者を思い浮かべると分かるが、一度マズい方向に行くと、たちまち金を溶かしてしまうことにある。
何億あろうが、何百億あろうが、事業で金を溶かすのは容易い。
有り金を溶かすだけならまだ良いが借金を作ったり、命まで差し出すことになる人も少なくない。

ギャンブラーである我々は、ギャンブルで生き残る術を身に着けておかなくてはいけない。
期待値の計算、資金管理、感情のコントロールリスク管理、健康管理など。
事業をやる上で必要なリスクや資金の管理は当然のこと、しくじると無限に金を溶かすギャンブラーはいかに自分の心身を安定させられるかが重要である。
感情的になって過剰なリスクをとったり、割りに合わないギャンブルをすると痛手を追う。
他人と同じでないと不安になる人は競争にすり潰されて死ぬ。
だが、完全な気狂いでもまた死ぬ。
全盛期には冴え渡っていた英傑が耄碌して成功街道を転げ落ちていった例は枚挙にいとまがない。
これらをすべて兼ね揃えてバランスを取るのは、とても難しい。
そうでなくても勝てるのがギャンブルの素晴らしい点でもあるのだが、漫画ならまだしもたった一度の自分の人生で一か八かの賭けをすることは避けたい。

ということで、今既にギャンブルをしている人ならば、自分が本当にバランスの取れたギャンブラー足りうるかを確認したほうがいいし、そうでない人はギャンブルの道を歩むかどうかをよく考えた方がいいと思う。
サラリーマン社長とかは種銭を晒さずに鉄火場にいるのだが、アレはあれで弊害が大きいと思う。