工業生産的な製品に対抗するにはフェチしかない

工業生産的な製品とは、膨大な費用をつぎ込んでスケールメリット的に商品を作り込む。

低価格で高品質、そこには資本の原理が働いているし、ふつうに戦っていても太刀打ちできない。

そこで、まともな人達はニッチを狙うのだけど、ニッチな市場は小さいので、そこにスケール的な限界が生まれる。

 

もう一つの方法は、個人のフェチを詰め込む。

拘り、趣味、執着、偏執、そういう個人的なものをひたすらに詰め込んで製品を作り込んでいく。

本来のフェチとは意味が違うのだが、ここではそういったものをフェチと言っている。

資本主義的に数をどれだけつぎ込んでも、クオリティでは到達できないものをひたすらに作っていくしかない。

そこで大切なのは、マーケットの反応ではなく、自分がそれに心の底から惹かれているかということだけだ。

 

勝負を避けてニッチで戦うか、まともでは到底作れないような、狂ったものをぶつけるか。

中途半端な態度は資本に擦り潰される。

 

とはいえ、自分のフェチを吐き出すには、何かをひたすらに追い求める、内なるフェチの蓄積がまず必要で、そのために客観性だとか、他人の基準みたいなものをかなぐり捨てて、狂ったようにフェチで腹を満たすことだ。