クロフォードvsブルック 感想

クロフォードがPFPと昔から言い続けて来たのだが、見れば見るほどクロフォードのボクシングが分からなくなる。

たとえばカネロやロマチェンコ、井上のボクシングは見ればわかる。分かることと、それを行なうことや攻略することには大きな差があるのは当然だが、見て理解すらできないというのは更に低次元だ。

クロフォードの見ている景色の片鱗すら理解できない。

スイッチだとか、対応力だとか、スピードだとか、クロフォードを評する言葉はよく聞くが、そのどれもが正確に説明できているかというと、そうではないように思う。

 

 

場面場面で見るとブルックは良かった。前手の差し合いを制したり、カウンターを当てたり、長期戦で脚を使われることへの対策かボディもよく当たっていた。

2Rくらいまでを見ると、ブルックが押していたし、何一つブルックのミスは見えなかった。

しかし、一発のカウンターでひっくり返されてしまった。

あのKOすら、狙っていたのか、あるいはそれ以降を見据えた中での一発なのか分からない。

 

ガンボア戦を見ても、いまだとガンボア攻略のど真ん中を行っていたように見えるが、当時あのときにガンボア相手にあの戦術を取れるボクサーは一握りだったに違いない。

クロフォード陣営は明らかに相手を研究する能力が高く、試合前に綿密なプランを組み上げている。

しかし、その全容を理解できる人はそう多くない。クロフォードの勝利を持ってはじめてそれを理解できる、あるいは数年遅れで片鱗に触れられる、そういう類まれなボクシングをする選手だ。アンドレウォードを見たときにも同じ感想を抱いた。

そのボクシングの深遠さ・複雑さを退屈だと捉えるか、面白みだと捉えるかは人それぞれであるが。

 

クロフォードが注目を浴び始めた当時は、スイッチを使い、多彩な距離で戦えるクロフォードスタイルがボクシングの新世代になると思っていた。

しかし、あまりに複雑なボクシングはフォロワーを生むことなく、ロマチェンコのような分かりやすく派手なスタイルを指向する選手が増えた。

これはがクロフォードのボクシングの解明をさらに遅らせている要因の一つだろう。

「パッキャオのようなボクサーはいるが、メイウェザーのようなボクサーはいない。だからパッキャオはメイウェザーには勝てない」という言葉を聞いた。

ボクシングのような対戦回数の限られた勝負では、特異性は大きな武器なのだ。

クロフォードはロマチェンコのように解体されてしまうのか、あるいはスペンスがまともに付き合うことなく正面から圧殺するのか、ウォードやメイウェザーのように最後まで霧のように掴まれることなく勝ち続けるのだろうか。