靴下の修理、パンク、DIY、アティテュード

 

靴下の修理をした。
以前は穴が空いたら捨てていたのだが、最近は修理をしている。
手縫いで不格好に修理をしている。


修理するということに、格好良さを感じたからだ。
ある洋服ブランドがある。
そのブランドの服は、穴が空いたり破れたり、汚れがついても修繕や染め直しで何度でも使えるように作られている。
また、ブランド側が修繕や染め直しを行っている。

この姿勢がとても格好良く感じた。
商売的には利益を最大化する施策ではないだろう。
彼らが世界的なトップメゾンになることもないだろう。
でも、ファッション業界の消費主義に断固として立ち向かうその姿勢、反骨精神のようなものにとても感銘を受けた。

エコやSDGsみたいな、折り目正しく褒められたがりの優等生的な姿勢ではなく、骨太な反骨精神を裏側に感じる。
それ以来、物を修理しながら使うということに美徳を感じるようになった。
節約のためだとか、環境に良いとか、そういうことではなくて、もっと大きな消費社会への密かな反抗なのだ、と。


自分が使ってきた跡を残しながら、自分だけの道具を、使いながら作り上げる、それが格好いいだろう。
だから修理することは、より格好良くすることなのだ。
瑕疵がなく、新品の状態が最も美しく格好良いのではなく、使いこむことで、更に格好良くなる、という意識を持っている。


これは、自分の中では、パンクのアティテュード論に似ている。
パンクとはスタイルかアティテュードか、という議論がある。
パンクらしい見た目をしていればパンクなのか、パンクらしい態度や生き方がパンクなのか、というものだ。
自分はアティテュード派であり、修理をするという生き方に誇りを感じる。


パンクにはDIY精神というものがある。
そういう点でも、パンクスの精神に魅力を感じる。
ただ、パンクのスタイルや音楽にはあまり魅力を感じないのだが。


そういうわけで、自分は物を修理しながら、自分の跡を残して使っていくことに、アティテュードとしての誇りを感じている。
そういう精神を持つ人に魅力を感じるし、自分もまたその一因になりたいからだ。
その第一歩として、靴下の修理をするのだ。