ドラマティックな死

ドラマティックな死

たまたま三島由紀夫のエッセイを読んだ。
彼の思想の多くには賛同しない。
現代人の大多数は似たような感想を抱くはずだ。
葉隠に影響されたことも、市ヶ谷で自殺したことも、自殺がその後の日本にも自衛隊にも大した影響を与えなかったことも、全てが馬鹿馬鹿しいと思う。
自殺なんてせずに、生き延びて本を書いて老いていったほうが日本を変えられただろう。


でも、三島由紀夫自身にとって、あの最後を迎えられたことは幸福なことなのだろう。
現代では病院のベッドで死んでいくことしかできない。
戦時のようなドラマティックな死なんてものは、現代にはない。
という彼の主張には、共感を抱く。
ドラマティックに死にたいとは思わない。
けれど、病院や介護施設で生きてるのか死んでるのか分からないまま、己の生死のコントロールすらできないまま死んでいく。
これは自死よりも苦痛かもしれない。


現代に残されたドラマティックな死というのは、もはや自殺しかないのだろう。
それが自衛隊で演説をして割腹自殺をするにせよ、メンヘラを拗らせてインターネットのコンテンツになるにせよ、老人ホームで死ぬよりはドラマティックで自己決定的だ。


まあ、安全で豊かな日本で自殺をするくらいなら、アフリカや南米で死の危険を感じながら生きるほうが、よっぽどドラマティックだと思うけど。