世の中はむしろ良くなっている

世の中には悪いニュースが溢れているけれど、むしろ良くなっていることのほうが多い、というのはよく言われている。

実際にぼくはたちはオリンピックの酷い有様をリアルタイムに眺めているわけだけど、問題が問題として取り上げられる社会というのは、それほど悪いものではなさそうだ。

 

きっと、いま問題として取り上げられているものの多くは、かつては表に出ることのないものだったり、表に出ても誰も問題として取り扱うものではなかったものが多い。

贈賄だって、昔は当たり前に行われていたけれど、今ではそれが問題になり、多少クリーンになっている。

今回のオリンピックは問題だらけで、もはや何が致命的な問題なのかも分からなくなっているけれど、そういう認識を持てている時点で、社会は少しずつ良くなっているのだと思う。

 

世の中は滅茶苦茶になったんじゃなくて、元から滅茶苦茶であることが、明らかになっているだけだろう。

あとは僕たちが、少しずつでも問題を片付けていくだけだ。

これは、いま声を荒らげることよりも難しい。

怒りは継続せず、漸進的な改善を続けるには忍耐と強い信念が必要になる。

それでも、歩みを止めることなく、改善を繰り返すことで社会はよりよいものになっていく。

 

こういう進歩主義的な考えにも欠点はあるが、何もかもに絶望して自暴自棄になるよりは、ちっとはマシなんじゃないかと思うようになった。

オリンピックはコロナがあろうがなかろうが、クソだと思っているけれど、ここで滅茶苦茶なオリンピックが開催されて問題が明るみになったことは、不幸中の幸いであるように思う。