政治家に庶民感覚を求めるのは間違っている

政治家に庶民感覚を求めるのは間違っている

政治家に対してアイツはおかしいとか、狂っていると言う人がいる。
だいたい正しい。
けれどもそれを発言する意味は全くない。
なぜなら、政治家を志す人間なんて狂っているからだ。


民主主義国家の日本では、投票に行く人は国政選挙で52-55%。
最新の衆院選参院選では10代から30代は投票率が50%を切っている。
地方自治体の知事選では全体で50%を切っていることすらある。


つまり、投票すら行かないのが日本の政治というわけだ。
こんな中で政治家を志す人間というのは、はっきり言って狂っていると言わざるを得ない。


いまの国政選挙の中心である世襲議員は生育環境から庶民とはかけ離れている。
そんな環境に地盤すら持たずに乗り込んでいく非世襲議員は更に狂っている。


議員のお仕事や選挙事務所の運営を見てみれば、それは庶民の仕事とは全く言えない。
朝から駅前に立って演説をしたり、地元の式典や弔問に足繁く通ったり、数年に一回だれかれ構わず頭を下げて朝から晩まで駆けずり回ったり。
そんなことができる人間というのは、庶民や大衆、一般人と言える人ではないのだ。


政治家になったとして、大金持ちになれるわけでもなければ、若く外見の良い異性を食いまくれるわけでもない。


コストパフォーマンスの非常に悪い行為を嬉々として行う彼らは、ほぼ全員が狂人なのだ。


サラリーマンをやりながらTwitterやヤフーニュースを見て、政治の愚痴を行ったり彼らの失言を叩くほうがよっぽど楽だ。
何も考えずに気持ちよくなれる。


同様のことは企業関係者にも言える。
たまに経営者の下半身事情を晒しあげて喜ぶ下らない人達がいるけれど、経営者をやる人間なんてはじめから狂っているのだ。
庶民の価値基準ではかれる人間は経営者になんてなりたくない。
ましてや起業家なんてものにはならない。


政治家とか経営者というのは、イメージ商売ではない。
狂った世界に適応した狂人なのだから、彼らをイメージで評価するのは間違っている。
そんなのはタレントやアイドルの評価基準でしかない。
どれだけ下半身がだらしなくても、庶民の間隔が分からなくても、本業で成果を出せる人間が偉いという大前提を思い出すべきなのだ。

政治的腐敗は許せないが政治的に清廉な人間的に腐敗した政治家は高く評価をするべきだ。