連載漫画(と海外ドラマ)は作品と呼ぶには不完全なフォーマット
子供の頃から漫画が当たり前にあったので気づかなかったんだけど、連載漫画って不完全なフォーマットだと思った。
終了時期が未定で、ちゃんと正規のゴールにたどり着くか分からないものを、多くの人が貴重な金と時間を割いて読んでいるというのは、何とも狂っているなと思う。
連載漫画は途中で作者が死んだり投げ出したりして、最後まで続かないこともままある。
一応のエンディングを迎えたとしても、打ち切りで本来の想定とはズレた終わりを迎えたり、儲かるからとズルズルと引き伸ばして名作が駄作と化すこともままある。
たとえば、これが推理小説だとしたら、読者の大半はキレると思う。
途中まで推理をしていたけれど、未完のまま犯人は分かりませんとか、それまでの推理の流れをぶった切って犯人を逮捕したり、推理とは違う人がページの都合上急ごしらえの犯人になる、なんてのはまともな小説とは言えない。
もちろん、小説のフォーマットも様々なので、何巻にもわたる連載物も少なくはないけれど。
けれども、漫画のちゃんと終わらない作品の数は異常だといえる。
そもそも、ちゃんと終わらせることがあまり念頭にないまま書き始めて続いているのでは、とすら思う。
続けることが漫画家の目標なのだと。
同じことが海外ドラマにも言える。
人気があるうちは無理矢理にでも続けて、人気がなくなってきたら終わる。
ほぼ全ての人気海外ドラマは、中だるみと尻すぼみのなか、駄作として終わっていく。
何回かそういう経験をしたので、海外ドラマというものを、そもそも見なくなった。
映画というフォーマットがいかに優れているのか、ということを改めて再認識した。
2時間前後の中に、必要な要素と制作費を詰め込んで、きちんと終わらせる。
そういうわけで、連載漫画を追うのって、あまりにも不毛な行為だなと思うようになってきた。
不完全なフォーマットで、物語としてきちんと終わることがあまり考えられていないものを、読むというのは、なんともインスタントな消費なのではなかろうかと。
まあこれは、連載漫画が悪いというよりも、連載漫画というビジネスモデルの欠点かもしれない。
ぼくはもう、浦沢直樹の漫画を1ページも読まないだろう。