浪費と消費となにかを作ること

暇と退屈の倫理学という本を読んでいる。

まだ半分くらいしか読めていないのだけど、この中で、浪費と消費の違いが出てくる。

 

浪費というのは、際限のある物事で、ある程度浪費をしたところで限界がくる。

うまいものをたらふく食べるとか。

消費というのは、際限のない行為。

ぱっと思い浮かぶのがソシャゲのガチャだろうか。

 

浪費は悪いことではないが、消費はあまり良くない行為として描かれている。

ぼく個人の考えとしても、消費に魅力を感じるのは、なにか違うように思う。

 

最後まで読む前に他の本に手を付け始めたので、本の結論についてはよくわからない。

でも、一つの答えが創造ではないかと思った。

イカー的な話だ。

ものを作るのは、自分の労働力を源泉にしているし、およそ消費活動の反対側にある。

ソローが森の暮らしをしたように、我々も、自分の身の回りのものやほしいものを、なるべく小さな部品から組み上げていく。

これは楽しいだけでなく、限界がすぐそばにある行為。

つまり、消費ではなく創造のなかにこそ、大切な何かを見つけ出せるのではないかと思っている。

 

そして、ぼく自身も身の回りの細かいことをコーディングでなんとかする、雑になんとかするということを、最近は実践している。