愛国心と全体主義に呑まれてはいけない

愛国心全体主義に呑まれてはいけない

最近、ウクライナ戦争に絡めてある言説を聞くことが多い。
ウクライナはロシアによる侵略当初に自国だけで果敢に戦ったから、抗戦の意志ありと見た他国が軍事支援をしているという話だ。
それに加えて、日本も中国による侵略があれば、逃げることなく果敢に戦う必要があると。

たしかに国家規模のマクロの視点で考えれば、その判断は正しいのだろう。
侵略国家にやすやすと降伏してはいけない。
他国に逃亡するなんてもってのほかだ。

でも、一個人の問題として見た場合、結論は全く逆である。
人類の歴史を見たときに、名も無き一個人が果敢に戦って命を懸けたとき、それに見合う報酬が与えられてこなかった。
少なくとも近代の戦争においては。
近代以前であれば、戦果を上げた者には相応の報酬が与えられた。
目先の利益のために戦うという選択肢もあった。
でも、近代国家では命を投げ出すに足る報酬なんてものはどこにもない。
富めるのはより地位の高い者だけで、一兵卒が得られる利益なんては無いに等しい。
ましてや、敗戦時の元軍人の扱いというのは酷いものである。
第二次世界大戦の日本を見ても、ベトナムイラク帰りのアメリカ兵を見ても、とうていロクなもんじゃない。
神風を命じた上層部の多くがのうのうと戦後を迎えたように、愛国心は人を使うためのものであって、信奉するようなものじゃない。

ジムロジャーズは言っていた。
国のために命を捧げるなんてことはやめろ。
地球の果てまで行っても生き残ることが大切だと。
マクロで考えて正しい判断が、一個人にとって正しいと言うわけではない。
他人は愛国心帰属意識全体主義で扇動してくるが、決してそれに乗ってはいけない。
ウクライナ戦争でそういう全体主義的な雰囲気が強まっているが、確固たる信念を持って醜く生きながらえたい。