仕事の愚痴はその環境から抜けられないことの証

ご飯を食べていたら延々と集団で仕事の愚痴や悪口合戦をしていた人達がいて、少しばかりご飯がまずくなった。

そういえば、ぼくも会社員時代はよく愚痴を言っていた。

会社を辞めてはや数年、仕事の愚痴はほぼ言わなくなった。

というもの、嫌なら辞めたらいいだけのことだからだ。

愚痴を言いつつ頑張って耐えるなんてことはなく、やめるか、少しでも生産的なことをするかしかない。

そう思うと、彼らは自らの枷の大きさを喧伝しているのだな、と同情まじりの寛容さが生まれた。

 

仕事であれば自分は比較的環境を選べる方なのだけど、親族との付き合いみたいな部分では愚痴を言う。

というのも、親族との縁、柵はそう簡単に切られるものではないからである。