寂しい老人になるのが怖い

カフェにはたまに寂しい老人がいる。

ただ店員と会話したいだけの人。

周りの目を気にせず、ひたすら一方的に話し続ける。ときには店員のみならず他の客にも一方的に話しかける。

昔の喫茶店はこういう人が集う店も少なくなかった。

ママみたいな人と世間話をする、井戸端の存在が古き良き喫茶店だった。純喫茶というよりも、喫茶店。店の前にはUCCキーコーヒーの看板がある。

その手の店も、後継者の不在か、カフェに求めるものの変化か、数が減っている。

そうして行き場を失った寂しい老人は、コーヒーショップに流れ着くようになった。

いまでもスナックや常連の集う個人経営の安居酒屋には彼らの居場所があるのかもしれない。

しかし、下戸なのか、その手の店も淘汰されたのか、安居酒屋に通う金もないのか、彼らはコーヒーショップをただよっている。

自分がそうならない理由はどこにもない。

漠然とした将来の不安は、金銭関係よりもアイデンティティの方が大きい。

年老いて社会的地位も金もなく、何者でもなくなった老人の居場所は多くないのかもしれない。