社会の公平さや正義に関する議論は最低限の理解でいい派

フェミニズムとか、人種差別とか、ジェンダーとか、親ガチャとか、色んな公平さと正義に関する話は多々ある。

これらの議論の最先端を理解することは、ぼくの生活にはあまり意味がない。

公の場で明らかにマズいこと、たとえば人種を問題にして他人を批判したり、同僚にジェンダー問題を軽んじた話をするのは、罰せられる可能性が出てくる。

 

でも、最低限のラインさえ押さえておけば、普通に生活するぶんにはあまり困ることは無さそうだ。

ロジャーズの普及理論で言うところの、レイトマジョリティーぐらいで十分だと思っている。

最低限のラインも職種や生活によって異なってくるだろうけど。

 

正直言って、この辺りの問題に個人的にはほとんど興味がない。

ぼくは自分の手の届く範囲の問題にしか興味のわかないタイプ。

 

この手の議論は議論の速度が早すぎて、時間が経ったら状況が変わっていたりする。

キャッチアップし続けないといけないことを理解するには、それなりのコストがかかる。

それだけのリソースは、他のことに費やしたい。

 

こういう消極的な態度も悪、と断罪される向きもあるけれど、全ての問題に関心を持っていられるほど、リソースが無限にあるわけではない。

関心の輪と影響の輪だとか、自分が変えられる物事にのみ集中するだとか、そういうメンタリティで生きることの方が、社会正義の議論の末席に加わるよりも大切なことだとぼくは思っている。