学生時代を語る気がしない

学生時代を語る気がしない


過去よりも現在が大切だ、という意味であまり過去を語るのが好きではない。
そもそも、記憶力に難があり、昔のことは断片的にしか思い出せないのだが。


だが、学生時代を語る気が起こらないのは、また別の理由がある。
アイデンティティの問題だ。
一言で言えば、学生時代の自分というのは、主体的に生きていなかった。
周りに流されることが多い人生で、自我の発達が不十分であった。


いまの自分と過去の自分の連続性を明確に見て取れるのは、大学に入ったあたりが最初だ。
それ以前の自分がどうだったかといえば、学校という枠組み、部活という枠組みの中で、他者の命令に従う機械に近い存在であった。
人並み以上に反抗をしていた問題児ではあったのだが、命令系統からの脱却はできなかった。
個として自己を確立するという強さが備わっていなかった。
今から思うと、大学以前の自分というのは、動物的な反射で生きていたように思う。


自分で考え、責任を取り、自己規定をするというのができるようになったのは、せいぜい大学に入った頃からで、自分の人生が始まったのはその辺りからだ。
親元を離れて一人暮らしをしたこと、選択肢が無数にある都会に出たことなど、幸運にも恵まれた。


高校から付き合っていた相手には、大学に入ってから変人になったと言われたし、高校以前の友人は大学以後は疎遠になった。
大学入学を起点に、自分は生まれ変わったように思う。


そういうわけで、高校以前の話はあまりできないし、人と話すことはない。
できることなら今の話や、少し先の話がしたい。
過去を懐かしむほど無力ではなく、今の自分が人生で最も優れているのだから。

Ubuntuでアップデートしたアプリでバグがでるときは、古いバージョンをダウンロードする

Ubuntuでアップデートしたアプリでバグがでるときは、古いバージョンをダウンロードする


Pycharmが更新されたのだが、うまく動かない。
具体的には、インタプリタの設定読み込みがずっと続いて終わらない。
似たような報告がTwitterにあった。


解決策としては、古いバージョンをダウンロードする。
UbuntuのソフトウェアセンターからDLしたアプリは、ソフトウェアセンターで古いバージョンをDLできる。


1. 対象のアプリのページをソフトウェアセンターで開く
2. 削除する
3. 下の方にバージョンの記載がある場所があるので探す
4. クリックすると過去のバージョンが選択できる
5. DLする

これで無事古いバージョンのpycharmをDLして開発ができた。

他人はだいたい馬鹿

他人はだいたい馬鹿

IQでも受験偏差値でも良いのだが、正規分布している指標で中央値から上になればなるほど、その数は少なくなる。

ぼくはどちらも上位10%くらいに入っている。
別に自慢したいわけではないのだが、他人があまりに割に合わない行為をしているなと感じる場面は多い。

でも、自分の知的能力を考えると、当たり前のことなのだと思う。
世の中の9割くらいは自分よりも知的能力が低いのが当たり前。

さらに言えば、超高齢社会の日本では、認知能力が低下している人が少なくない割合存在している。
そう考えると、身の回りの人は、ほとんどが自分とは知的水準が異なるのだという前提を持っている方が妥当だろう。

他人を見下すはあまり好きではないが、あまりに過剰評価して、同じ水準を求めるのも誤りの元だと思う。

強度の高いトレーニングをしている期間はカロリー制限をしない

強度の高いトレーニングをしている期間はカロリー制限をしない


強度の高いトレーニングをしているときは、風邪を引きやすい。

そういう時にカロリー制限をしてしまうと、更に風邪を引きやすい状態になってしまう。
せっかく運動しているのだから、とつい意識が高くなりカロリーの低い食事をしがちだ。

でも、結局は風邪を引いたり、体調が悪くなって、せっかく運動しているのに健康から遠ざかってしまう。


長期的な健康やトレーニング効果を考えるなら、強度の高いトレーニングをしているときは、カロリーをあまり気にせずしっかりと食べたほうが良い。


特に冬はしっかりカロリーを摂るべきだ。
冬は乾燥しやすくウイルスが活性化しやすい。
つまり、風邪を引きやすい季節なので、この時期に免疫力を低下させるのは避けるべきだろう。


冬にカロリー不足になると、風邪だけでなく体が熱を発生させないので、寒さを強く感じてしまう。
どれだけ厚着をしても寒いのだ。
そういうときは、カロリー不足のサインなので、炭水化物を多めに食べると良い。


また、季節に関わらず強度の高い運動をしているときは、しっかりと睡眠を取ったほうが良い。
睡眠時間が短いと格段に風邪を引きやすくなる。
それだけでなく、トレーニング効果も薄く、回復は遅れ、怪我や故障が増える。


まとめ
強度の高いトレーニング期間中はカロリーと睡眠をしっかりと取ること

深夜にやることは大抵無駄

深夜にやることは大抵無駄

深夜になると疲れで頭が働かないので、日中だと取らないような行動を取ってしまう。

たとえば、無駄な買い物をしたり、つまらない情報を延々とネットサーフィンしたり。
朝になってみれば、なんて無駄な金や時間の使い方をしているのだ、と気づくのだが、夜中になればまたやってしまう。

辞められればそれに越したことはないのだが、まずはこの現象を自覚することが大切だろう。

その上で、無駄遣いをしないように、スマホやPCを使えないようにしたり、さっさと寝てしまうのが良い。

これを書いていることも、きっと無駄なことの一つなのだろうから、さっさと書いて寝てしまうことにしよう。

午前3時39分の記事。

総論としての成功や失敗はない

総論としての成功や失敗はない

以前別の記事の最後の方に似たような話を書いた。

物事を成否の二元論で語るのは、解像度が荒すぎる。
成否と書くと、0か100かの二元論になりがちだ。


でも、本当に考えるべきは、コストとリターンだ。
何を失って何を得たのか。
望むような成果が得られなくとも、リターンがコストを上回るなら、それは得をしたと言える。


たとえば知見が得られたとか、別の可能性を発見したとか、これらはリターンと言える。
大抵のことは、コストが小さいため、知見が手に入るのであれば得である。
逆に指を咥えたまま、何もしないのは時間というコストだけが消費されるので損なのだ。


上記のように、成功と失敗という二元論的な分類を使うと、結果的に損をすることになりかねない。


そうではなく、コストとリターンを計算して、その結果どれだけ得をしたのか、あるいは損をしたのか、という0 or 100ではなく、グラデーションを持った視点で考えるべきだろう。


今回はコストとリターンという視点で成否の二元論で考えることの害について論じたが、もう一つの視点にリスクリターンや期待値で結果を測る方法もある。
こちらもそのうち気が向いたら書きたい。

SNSは不幸生産装置

SNSは不幸生産装置

SNSはほとんど見ない。
理由は、不毛だからだ。
時間を費やすに足る対価が得られない。
日々消費されるための即時的な情報が流され、蓄積され、深まっていくものはない。


それと同様に、メンタルをすり減らす不幸生産装置でもある。
SNSには過激で扇情的な情報が溢れる。
過激で扇情的な情報は、PVを集めやすい。
PVを集めれば承認欲求が満たされ、金を得ることもできる。
その結果、人々は躍起になって、ジャンクで刺激的な情報をせっせと生産する。


我々が幸福になるにはどうすれば良いのか。
先人が出した一つの答えは、今の自分を受け入れることだ。
今の自分で良いのだという自己受容こそが幸福なのだと。


だが、自己受容とSNSは食い合わせが悪い。
SNSは過激で刺激的で、成功者が虚構に彩られた日常を垂れ流す。
今の自分のままではいけないのだ。
自分は変わらなくてはいけないのだ。
という焦燥感を掻き立てる。
キャリア、恋愛、容姿、金、社会的成功。
どれも本当は幸福の必要条件ではないにも関わらず、これがないから貴方は不幸なのだ、と価値観を押し付けられる。


幸福になりたいのであれば、SNSからは距離を置くべきだろう。

ありのままのちっぽけな自分を受容して、他者から押し付けられた価値観ではなく、自分の価値観に沿った幸福を、手の届く範囲で試行錯誤すること。
これが幸福への道のりなのだと思う。